収録歌


1 たまきはる 宇智の大野に 馬並めて 朝踏ますらむ その草深野(巻一・四)
2 秋の野の み草狩り葺き 宿れりし 宇治のみやこの 仮蘆し思ほゆ(巻一・七)
3 熟田津に 船乗りせむと 月待てば 潮もかなひぬ 今は漕ぎ出でな(巻一・八)
4 わたつみの 豊旗雲に 入日見し 今夜の月夜 さやけかりこそ(巻一・一五)
5 三輪山を 然も隠すか 雲だにも 心あらなも 隠さふべしや(巻一・一八)
6 あかねさす 紫草野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る(巻一・二〇)
7 紫草の にほへる妹を 憎くあらば 人妻故に 我恋ひめやも(巻一・二一)
8 河上の ゆつ岩群に 草生さず 常にもがもな 常娘子にて(巻一・二二)
9 春過ぎて 夏来るらし 白たへの 衣干したり 天の香具山(巻一・二八)
10 楽浪の 志賀の唐崎 幸くあれど 大宮人の 船待ちかねつ(巻一・三〇)
11 楽浪の 志賀の 大わだ 淀むとも 昔の人に またも逢はめやも(巻一・三一)
12 古の 人に我あれや 楽浪の 古き京を 見れば悲しき(巻一・三二)
13 我が背子は いづく行くらむ 沖つ藻の 名張の山を 今日か越ゆらむ(巻一・四三)
14 安騎の野に 宿る旅人 うちなびき 眠も寝らめやも 古思ふに(巻一・四六)
15 東の 野にかぎろひの 立つ見えて かへり見すれば 月傾きぬ(巻一・四八)
16 日並の 皇子の尊の 馬並めて み狩立たしし 時は来向かふ(巻一・四九)
17 采女の 袖吹き返す 明日香風 京を遠み いたづらに吹く(巻一・五一)
18 いづくにか 船泊てすらむ 安礼の埼 漕ぎ廻み行きし 棚なし小船(巻一・五八)
19 葦辺行く 鴨の羽がひに 霜降りて 寒き夕は 大和し思ほゆ(巻一・六四)
20 秋の田の 穂の上に霧らふ 朝霞 いつへの方に 我が恋止まむ(巻二・八八)
21 我が里に 大雪降れり 大原の 古りにし里に 降らまくは後(巻二・一〇三)
22 我が岡の に言ひて 降らしめし 雪の摧けし そこに散りけむ(巻二・一〇四)
23 我が背子を 大和へ遣ると さ夜ふけて 暁露に 我が立ち濡れし(巻二・一〇五)
24 二人行けど 行き過ぎ難き 秋山を いかにか君が ひとり越ゆらむ(巻二・一〇六)
25 人言を 繁み言痛み 己が世に いまだ渡らぬ 朝川渡る(巻二・一一六)
26 石見のや 高角山の 木の間より 我が振る袖を 妹見つらむか(巻二・一三二)
27 笹の葉は み山もさやに さやげども 我は妹思ふ 別れ来ぬれば(巻二・一三三)
28 岩代の 浜松が枝を 引き結び ま幸くあらば またかへり見む(巻二・一四一)
29 家にあれば 笥に盛る飯を 草枕 旅にしあれば 椎の葉に盛る(巻二・一四二)
30 天の原 振り放け見れば 大君の 御寿は長く 天足らしたり(巻二・一四七)
31 青旗の 木幡の上を 通ふとは 目には見れども 直に逢はぬかも(巻二・一四八)
32 神風の 伊勢の国にも あらましを なにしか来けむ 君もあらなくに(巻二・一六三)
33 磯の上に 生ふるあしびを 手折らめど 見すべき君が ありといはなくに(巻二・一六六)
34 降る雪は あはにな降りそ 吉隠の 猪養の岡の 寒からまくに(巻二・二〇三)
35 鴨山の 岩根しまける 我をかも 知らにと妹が 待ちつつあるらむ(巻二・二二三)
36 天離る 鄙の長道ゆ 恋ひ来れば 明石の門より 大和島見ゆ(巻三・二五五)
37 もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の 行くへ知らずも(巻三・二六四)
38 苦しくも 降り来る雨か 三輪の崎 狭野の渡りに 家もあらなくに(巻三・二六五)
39 近江の海 夕波千鳥 汝が鳴けば 心もしのに 古思ほゆ(巻三・二六六)
40 旅にして もの恋しきに 山下の 赤のそほ船 沖を漕ぐ見ゆ(巻三・二七〇)
41 桜田へ 鶴鳴き渡る 年魚市潟 潮干にけらし 鶴鳴き渡る(巻三・二七一)
42 いづくにか 我が宿りせむ 高島の 勝野の原に この日暮れなば(巻三・二七五)
43 田子の浦ゆ うち出でて見れば ま白にそ 富士の高嶺に 雪は降りける(巻三・三一八)
44 憶良らは 今は羅らむ 子泣くらむ それその母も 我を待つらむそ(巻三・三三七)
45 験なき 物を思はずは 一坏の 濁れる酒を 飲むべくあるらし(巻三・三三八)
46 吉野なる 夏実の川の 川淀に 鴨そ鳴くなる 山影にして(巻三・三七五)
47 百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ(巻三・四一六)
48 我妹子が 見し鞆の浦の むろの木は 常世にあれど 見し人そなき(巻三・四四六)
49 君待つと 我が恋ひ居れば 我が屋戸の 簾動かし 秋の風吹く(巻四・四八八)
50 来むと言ふも 来ぬ時あるを 来じと言ふを 来むとは待たじ 来じと言ふものを(巻四・五二七)
51 君に恋ひ いたもすべなみ 奈良山の 小松が下に 立ち嘆くかも(巻四・五九三)
52 玉守に 玉は授けて かつがつも 枕と我は いざ二人寝む(巻四・六五二)
53 世の中は 空しきものと 知る時し いよよますます 悲しかりけり(巻五・七九三)
54 妹が見し 楝の花は 散りぬべし 我が泣く涙 いまだ干なくに(巻五・七九八)
55 大野山 霧立ち渡る 我が嘆く おきその風に 霧立ち渡る(巻五・七九九)
56 銀も 金も玉も なにせむに 優れる宝 子に及かめやも(巻五・八〇三)
57 我が園に 梅の花散る ひさかたの 天より雪の 流れ来るかも(巻五・八二二)
58 世の中を 憂しとやさしと 思へども 飛び立ちかねつ 鳥にしあらねば(巻五・八九三)
59 若ければ 道行き知らじ 賂はせむ したへの使ひ 負ひて通らせ(巻五・九〇五)
60 若の浦に 潮満ち来れば 潟をなみ 葦辺をさして 鶴鳴き渡る(巻六・九一九)
61 み吉野の 象山の際の 木末には ここだも騒く 鳥の声かも(巻六・九二四)
62 ぬばたまの 夜のふけゆけば 久木生ふる 清き川原に 千鳥しば鳴く(巻六・九二五)
63 士やも 空しくあるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして(巻六・九七八)
64 振り放けて 三日月見れば 一目見し 人の眉引き 思ほゆるかも(巻六・九九四)
65 あしひきの 山川の瀬の 鳴るなへに 弓月が岳に 雲立ち渡る(巻七・一〇八八)
66 ぬばたまの 夜さり来れば 巻向の 川音高しも あらしかも疾き(巻七・一一〇一)
67 石走る 垂水の上の さわらびの 萌え出づる春に なりにけるかも(巻八・一四一八)
68 春の野に すみれ摘みにと 来し我そ 野をなつかしみ 一夜寝にける(巻八・一四二四)
69 百済野の 萩の古枝に 春待つと 居りしうぐひす 鳴きにけむかも(巻八・一四三一)
70 かはづ鳴く 神奈備川に 影見えて 今か咲くらむ 山吹の花(巻八・一四三五)
71 夕月夜 心もしのに 白露の 置くこの庭に こほろぎ鳴くも(巻八・一五五二)
72 沫雪の ほどろほどろに 降り敷けば 奈良の都し 思ほゆるかも(巻八・一六三九)
73 御食向かふ 南淵山の 巌には 降りしはだれか 消え残りたる(巻九・一七〇九)
74 葛飾の 真間の井を見れば 立ち平し 水汲ましけむ 手児名し思ほゆ(巻九・一八〇八)
75 ひさかたの 天の香具山 この夕 霞たなびく 春立つらしも(巻一〇・一八一二)
76 たらちねの 母が手離れ かくばかり すべなきことは いまだせなくに(巻一一・二三六八)
77 朝影に 我が身はなりぬ 玉かきる ほのかに見えて 去にし児故に(巻一一・二三九四)
78 難波人 葦火焚く屋の すしてあれど 己が妻こそ 常めづらしき(巻一一・二六五一)
79 磯城島の 大和の国に 人二人 ありとし思はば 何か嘆かむ(巻一三・三二四九)
80 筑波嶺に 雪かも降らる いなをかも かなしき児ろが 布乾さるかも(巻一四・三三五一)
81 多摩川に さらす手作り さらさらに なにそこの児の ここだかなしき(巻一四・三三七三)
82 にほ鳥の 葛飾早稲を にへすとも そのかなしきを 外にたてめやも(巻一四・三三八六)
83 我が恋は まさかもかなし 草枕 多胡の入野の 奥もかなしも(巻一四・三四〇三)
84 稲搗けば かかる我が手を 今夜もか 殿の若子が 取りて嘆かむ(巻一四・三四五九)
85 君が行く 道の長手を 繰り畳ね 焼き滅ぼさむ 天の火もがも(巻一五・三七二四)
86 安積山 影さへ見ゆる 山の井の 浅き心を 我が思はなくに(巻一六・三八〇七)
87 家にても たゆたふ命 波の上に 浮きてし居れば 奥か知らずも(巻一七・三八九六)
88 珠洲の海に 朝開きして 漕ぎ来れば 長浜の浦に 月照りにけり(巻一七・四〇二九)
89 天皇の 御代栄えむと 東なる 陸奥山に 金花咲く(巻一八・四〇九七)
90 春の苑 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子(巻一九・四一三九)
91 我が苑の 李の花か 庭に散る はだれのいまだ 残りたるかも(巻一九・四一四〇)
92 もののふの 八十娘子らが 汲みまがふ 寺井の上の 堅香子の花(巻一九・四一四三)
93 朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唱ふ舟人(巻一九・四一五〇)
94 春の野に 霞たなびき うら悲し この夕影に うぐひす鳴くも(巻一九・四二九〇)
95 我がやどの いささ群竹 吹く風の 音のかそけき この夕かも(巻一九・四二九一)
96 うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心悲しも ひとりし思へば(巻一九・四二九二)
97 筑波嶺の さ百合の花の 夜床にも かなしけ妹そ 昼もかなしけ(巻二〇・四三六九)
98 防人に 行くは誰が背と 問ふ人を 見るがともしさ 物思もせず(巻二〇・四四二五)
99 初春の 初子の今日の 玉箒 手に取るからに 揺らく玉の緒(巻二〇・四四九三)
100 新しき 年の初めの 初春の 今日降る雪の いやしけ吉事(巻二〇・四五一六)